水上で繰り広げられるダイナミックなレースが特徴の競艇。しかし、その裏には常に選手が事故に巻き込まれてしまうリスクが潜んでいることを皆さんはご存知ですか?今回は競艇の事故の原因や対策、実際に起こった死亡事故についてまとめていきます!
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目次
競艇のダイナミックさは危険と隣り合わせ。選手が抱える死のリスク
競艇は生身の選手がボートに乗り、スピードを競う競技です。競艇選手のレース賞金・収入は高く、中には年間1億円以上の賞金を稼ぐ選手もいますが、その反面、常に危険と隣り合わせとなる過酷な競技という一面も持ちます。まずは競艇にはどんな危険があり、どのように対策をしているのかをご紹介します。
競艇は常に危険と隣り合わせ
競艇は事故率の高い競技の一つです。競艇で使われるボートは、小型でほとんど選手を防護する壁もない中、直線距離では時速80キロに達するほど速い速度を出します。その上荒天でも開催される場合が多いので、重大な事故が起こる可能性が高いのです。
事故率が特に高いとされるのがターンの際の転覆・衝突事故です。上位を狙う選手は高速でターンマークに向かい、ギリギリで減速しようとします。この時に角度が極端に傾いてしまうと、ボートが転覆してしまいます。またターン時は狭い空間に艇が密集するため、接触事故も発生しやすい状況になっているのです。
接触・転覆事故で選手が投げ出された場合、そのスピードから水面であってもコンクリートに叩きつけられたような非常に強い衝撃を受けます。また後続艇に轢かれてしまい、高速で回転しているモーターのベラの部分に斬りつけられてしまう事故も多数発生しています。
更に、荒天の中で行うレースや、連日続くレース日程となると、状況や選手のコンディションが悪化し、操舵ミスやモーター整備の不具合が発生してしまいます。操舵ミスはもちろん、激戦の中でいきなりスピードが落ちると追突事故のリスクが高まるので、モーターの不具合も命取りとなってしまうのです。
また、ネット上では、「サメに襲われて死亡した選手もいる」という噂が流れていますが、このような情報は確認されておらず、デマだとされています。確かに海面をそのまま使う競艇場もあるために「競艇場にはサメはいない」とは断言できないのですが、サメは基本的には臆病な生き物であり、わざわざボートに近寄るようなサメはいない、とされています。
競艇の選手はランクの低い選手であっても高い収入を得ることができる職業ですが、その反面このように常に事故とのリスクと戦いながらレースに臨む必要があります。もしかしたら選手のふがいなさに憤ることもあるかもしれませんが、選手は死のリスクと隣り合わせで奮闘していることを考えながら応援していきましょう。
2年に1回のペースで事故が発生!その対策について
競艇の事故は頻繁に発生しており、中でも死亡事故は約60年の歴史の中で30回発生しています。後述する訓練生の死亡事故も含めると31回、2年に1回のペースで死亡事故が発生しています。
60年間の間にボートや装具の改良、水面の安全性の確保、指導の徹底などから年々死亡事故は減っているのですが、2013年にはベテラン女子選手だった鈴木詔子さんが練習中に岸に衝突して亡くなる事故が起こるなど、今でも事故は起こり続けています。また2016年に競艇選手養成学校の「やまと学校」で起こった女子選手の死亡事故は競艇界に衝撃を与えました。
そこで競艇では、水面が荒れているレースの場合には安定板と呼ばれるボートを安定させる器具を使用したり、プロペラや防護服、装具についても日々改良をしていくなどの安全対策を徹底しています。また、競艇選手養成学校の「やまと学校」ではかなり厳しい指導が行われていますが、これも選手の安全対策を第一としたものであり、厳しい指導を通じて競艇の危険性の理解と安全対策のための技術獲得を目指しています。
さらには選手の体調管理や日程調整といった対策も現在では重視されています。
実際に事故で亡くなられた競艇選手
では実際に、競艇のレース中に亡くなってしまった選手は、どのような選手だったのでしょうか。約60年間、30回の死亡事故の中でも、特に人々に衝撃を与えた3つの死亡事故を解説していきましょう。
「元祖デカペラ」沢田菊司選手の死亡事故
競艇の死亡事故の中でも、特に業界全体に衝撃を与えた事故の一つが沢田菊司選手の死亡事故でした。沢田選手はボートのプロペラ部分を大型化する改良を行い、名を馳せたことから「元祖デカペラ」と呼ばれるベテラン選手でした。
競艇界の第一線で活躍していた沢田選手でしたが、1999年11月の平和島競艇で先行艇が減速して正面から衝突、さらに後続艇に挟まれる形で接触され、胸腔内出血などにより死亡しました。48歳でした。「元祖デカペラ」の突然の死に、多くの競艇ファンが悲しみに包まれました。
「競艇界のニューアイドル」木村厚子選手の死亡事故
30回の競艇死亡事故の中で、女子選手が死亡したのが3回。そのうち、「競艇界のニューアイドル」として親しまれていた木村厚子選手の死は多くの競艇ファンにショックを与えました。
木村厚子選手は1986年にデビューして以来、美人レーサー、アイドルレーサーとして競艇のイメージアップに貢献し、1987年には「ミス競艇」に選出、1991年にはテレビCMにも出演していました。1989年には同じ支部の競艇選手である加藤金治選手と結婚し、1990年には男女混合レースで初優勝を果たし、順風満帆な競艇人生を送っていました。
しかし、そんな彼女を襲ったのが2003年5月24日の津競艇場でのレースでした。1号艇として出走した木村選手でしたが、第2ターンマーク付近で急激に減速し、後続艇に乗り上げられる形で接触し、艇から投げ出されてしまったのです。
懸命な治療の甲斐もなく、翌日に頸椎損傷、脳挫傷により死亡しました。38歳でした。人気選手の死に競艇界はショックを受け、その後再発防止の安全対策などが進められました。
人気女子レーサーと結婚した矢先に……坂谷真史選手の死亡事故
競艇の長い歴史の中でも、最大の悲劇と呼ばれているのが坂谷真史選手の死亡事故です。
坂谷選手は1991年にデビューして以来、2003年には総理大臣杯でSGに初出場し、2004年に同期、同じ福井支部で人気女子レーサーの佐々木裕美選手と結婚。2007年にはGI全日本王者決定戦で3着になるなど、期待の若手として注目されていました。
そんな彼を襲ったのが2007年、住之江競艇場で行われたGI太閤賞での事故でした。彼は序盤から果敢に上位を狙い、2号艇争いを繰り広げますが、その際に6号艇と接触してしまい転覆。脳幹裂傷及び頭蓋骨骨折により死亡しました。26歳の若すぎる死でした。
その若さ、そして佐々木裕美選手と結婚して3年も経たないうちに、子供を残して亡くなってしまったことから、多くの競艇ファンがその死を悼みました。佐々木選手はその後8ヶ月にわたり活動を休止しましたが、その後悲劇を乗り越えて選手として復帰しました。
その他の競艇事故
競艇では、選手の死亡事故以外にも多くの事故が発生しています。また、競艇選手ではありませんが、競艇選手養成学校でも死亡事故が発生しています。今回は選手の死亡事故以外の事故について紹介していきます。
19歳女子訓練生、水城佑理さんの死亡事故
2016年、日本唯一の競艇選手養成学校である「やまと学校」での模擬レース中に、女子訓練生の水城佑理選手が事故に巻き込まれ、死亡しました。減速した先行艇に追突し、後続艇に玉突き追突される形で水面に投げ出されてしまったのです。
この女子選手はフジテレビのテレビ番組「Qちゃんに見せたい!厳しい世界」で密着取材されていたこともあり、世間には衝撃が走りました。女子ながら訓練生の中でトップの成績だった彼女は、選手としてデビューしていないにもかかわらず、多くの競艇ファンにその若すぎる死を悼まれました。
やまと学校はスパルタ的な教育方針で有名でしたが、創立以来はじめての死亡事故を起こしたため、再発防止のための対策に取り組んでいるとのことです。
75針を縫う大ケガ「不死鳥」植木通彦選手の転覆事故
「平成の不死鳥」と呼ばれ、優勝74回、生涯獲得賞金22億円以上を誇る伝説の選手が植木通彦選手です。2008年には殿堂入りを果たしたほどの大選手ですが、実は彼も若い頃生死をさまよう大事故の被害にあったレーサーだったのです。
事故が起きたのはデビュー3年目の1989年。当時彼は若手のエースとして期待され、実力を過信し、油断していたそうです。彼は桐生競艇場でのレース中、操舵ミスをして転覆、後続艇のプロペラに顔を切り刻まれてしまったのです。
顔の部位が分からなくなるほどの大ケガを負った植木選手でしたが、職員に「スタートは正常だったか?」と質問するなど、事故直後でも競艇のことばかりを考えていたそうです。
彼は全治5ヶ月、75針を縫う大ケガを負いましたが、なんと3ヶ月後には事故が起きた桐生競艇場でレースに復帰。その不屈の精神と強さにより、彼は「不死鳥」と呼ばれるようになったのです。
彼の活躍は競艇界に新たな歴史を残し、2008年には故郷の若松競艇場に「フェニックスホール 植木通彦記念館」がオープンし、その功績は今でも人々の記憶に強く残っています。大事故に遭いながらも恐怖に屈せずに復帰したその精神力が、彼の伝説の原点となったとされています。
まとめ
競艇は賞金も高く設定されており、ダイナミックなレースが展開される魅力がありますが、事故が多く、2年に一回のペースで死亡事故が発生しているという過酷な一面もある競技です。ターン時の接触・転覆事故は死亡事故に繋がる恐れもあるため、装具やボートの改良などの安全対策が進められています。
実際、選手人生の真っ最中に亡くなる選手も60年間で30人発生しており、後遺症の残る大ケガを選手もいます。事故自体は毎年起こっており、事故数をゼロにするのは難しいですが、レースを観戦する私達も、選手がリスクを負ってレースに臨んでいることをしっかりと認識しておくといいですね。ボートレースの楽しさだけでなく、リスクや過去の事故なども踏まえた上で、ボートレース観戦をしていきましょう!